「あの」

吐き出された自分の声が、強く震えているのが解る。
今まで戦ってきたどんな魔物相手でも、此処までのプレッシャーを感じた事は無かったと思う。

「これは、一体どういう」

なんとかそこまで声を絞り出すことが出来た。後は、相手の回答を、待つ。
困ったように頬を赤らめながら微笑む彼女は、ただ一言こう言った。

「プレゼント、や」

戦慄が走る。改めて、目の前に広がる光景を認識する。
それは何故だかとても現実味が無くて、
かといって、夢幻として見なかったことにするにはあまりにも、そうあまりにも、ヤバすぎた。

なぜなら、今私の目の前に居るのは……

『大き目の男物のワイシャツだけを着て、犬耳しっぽを生やし、リボンを首に巻いたお嬢様』

なのだから。

―――

何の変哲もない、いつもの早朝。女子寮の中の一室に、ソレはあった。
外側から見る限り、どこからどうみても大きな箱。
人一人くらいは軽く入れそうで、さらにきれいなラッピングまで施されているその箱は、
住人二人の性格を示すかのようにシンプルなこの部屋の中央で、大きな異彩を放っていた。

「龍宮。これ、何だと思う?」

そんな怪しげな箱を目の前に首をかしげるは、この部屋の住人の一人桜崎刹那。

「プレゼントボックス」

対して、まだ眠そうに欠伸をしながらそれに答えたのはもう一人の住人、龍宮真名。

「それは見れば解る。そうじゃなくて、これが此処に置かれている意図とかだな……」
「今日、何日だ」
「へ?何だ突然。一月の十七日、だったかな」
「何の日だ」
「……ただの平日だったとおもうが」

呆れたような顔でため息をつく龍宮に、
刹那は不思議そうな顔で、壁にかかったカレンダーを見る。

「誕生日じゃないのか?」
「あ。ああ――――!」

言われてやっと思い当たった顔で頷いた。
そう、言われるまで当人がすっかり忘れていたようであるが、今日は刹那の誕生日であった。

「じゃ、じゃあこの大きな箱は私宛ということか?」
「そうだろうな。状況的に」

肩をすくめる龍宮に背を向け、刹那は改めて箱を見る。

「とはいえ、いつの間にこんな大きな物を。就寝中とは言え全然気配を感じなかったぞ」
「さあな。どうやったんだろうな」
「龍宮もきづかなかっ……」

振り向くと、その視線から逃れるように横を向かれる。
考えてみれば、昨晩は愛刀「夕凪」の手入れの後、茶を飲んだあたりから記憶がまったくない。

「……おい」
「ははは、どうやったんだろうな」

なんだその白々しい笑みは!せめてこっちを向いて言え!
そんな気持ちを込めた刹那のジト目をものともせず、龍宮は笑う。

「まさかとは思うが、これはお前からの?」
「いや、それだけは絶対無いから安心しろ。中身も見てない。私は協力しただけだ」

その問いに対しては、振り向いて真顔で返された。

「ああ、そうかそれなら安心……ってやっぱりお前も一枚噛んでたんじゃないか!」
「そこはほら、報酬があれば仕事はするさ」

龍宮は笑いながら洗面所のほうへと歩いていく。

「ま、なんにせよ折角もらった物なんだ。開けてみたらどうだ」

まったく、一体どんな条件でルームメイトを売ったのやら。刹那はため息をつく。

「しかし、睡眠薬に気付けなかったというのはやはり弛んでいたな。気を引き締めなければ」

言いながら、やっと箱へと向き直り丁寧にリボンと包装を剥がす。
びりびりと破いてしまわない辺り、やはり真面目な性格である。

しばらく経って。

「ふぅ。大きいから流石に剥がすのにも手間がかかったな」

やっとすべての包装を剥がし終わり、一息つく。
睡眠薬の件もあるので、変な物でも入って居るのではないかと多少警戒したのだろう。
夕凪はすぐに手の届く位置に引き寄せてあった。

「お、今からあけるのか」

丁度、タオルで顔を拭きながら戻ってきた龍宮を背に、刹那はやっと箱の蓋に手をかける。
ホールケーキの箱と同じく、底以外全部が蓋になっているので、
下側からゆっくり持ち上げて、
あけた。

そのままの表情と姿勢で固まる刹那。後ろから覗き込んで、動きを止めた龍宮。
その視線の先に見えるのは

「すぅ……すぅ……」

静かな寝息をたて、クッションを枕に気持ちよさげに丸まって眠る近衛木乃香の姿であった。
もちろん服装は、前述のとおり

『大き目の男物のワイシャツだけを着て、犬耳しっぽを生やし、リボンを首に巻く』

……という至極マニアックかつあやしいもので。
刹那が呆然とした拍子に、外した蓋がぱたりと向こうに倒れる音がして、やっと二人は我に帰った。

「お……おおおおおおお!?」

刹那は多分「お嬢様」と言いたいのだろうが、驚きやら緊張やら、
ついでに視線がはだけたワイシャツの隙間のほうに行ってしまった事に対する罪悪感で
まともにろれつが回っていない。
一方、同じく動きを止めていた龍宮は。

「こ……こいぬ……」

謎の言葉を呟きながら、徐々にじりじりと箱へと近づいていく。
いかにも真剣な表情で、ちょっとだけ口の端が持ち上がっている辺りが
とても危ない人のように見えなくも無い。
そして、手の届く範囲内までたどり着いた途端、

「仔犬―――――ッ!!!!」

がばぁ!!と音がしそうな勢いで飛び掛る!しかし。

「お前は犬耳としっぽがついていればなんでもいいのかああああああ!!!!」

直後、お嬢様の危機(?)に反応して復活した刹那に、
鞘に収めたままの夕凪で部屋の窓から盛大に叩きだされる事になった。

「まったく、油断も隙も……」

荒く息をつきながら刹那が床に座り込んだところで、後ろでごそりと音がする。
振り向くと、箱に敷かれた毛布の上で寝ていた木乃香が起き上がっていた。
先ほどの騒音で目が覚めたばかりなのだろう。まだ眠そうに目をこすっている。

「ん……ふわぁ……あ、せっちゃんやー」

一度大きく欠伸をしてから、刹那に気付いた木乃香が微笑んだ。

「お!?お、おはようございますお嬢様!!」
「おはようさん」

かくして、状況は冒頭へと戻る。

「プレゼント……えっと、それは」

頬を赤らめ、困惑する刹那。
微妙に意図を理解しかねているらしい。いや、解っているが信じられない、といったほうが正しいか。

「もしや、お嬢様が……?」
「そうや、『ウチがプレゼント』や!」

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
そんな言葉がよぎったかどうかは知らないが。刹那の脳内にごぉんと鳴った鐘の音。
それは理性と煩悩による仁義無きバトルの開始を告げるゴングとなって、頭の隅々まで響き渡る。

赤コーナー、現在までは常勝無敗を誇る理性さん。
青コーナー、いつもは負けて押さえ込まれる煩悩さん。
けれど今回は目の前の状況という味方をつけて、煩悩さんがいつに無く力を発揮する!
取っ組み合いを続ける理性と煩悩の戦いが次第に白熱し、
とうとう理性が追い詰められるか、といったあたりで。

「……っちゃん!せっちゃん!!」

いつの間にやらガクガクと揺さぶられていた自分の頭に、刹那はやっと気がついた。

「は!すいませんちょっと意識が勝手に暴走しまして……」
「もー、突然動かなくなってもうたから、心配したえ」
「あは、あははははは」

なるべく下の方に視線が行かないように気をつけながら、刹那は笑う。

「それでな、続きなんやけど」

木乃香はそんな刹那の苦悩に気付く事無く、頭の犬耳をぴこりと立てて、にこやかに話を続けていく。

「つまり今日一日、ウチをせっちゃんの好きなようにしてええよーっていうのがプレゼントなん」
「ぐはぁ!!!」

やっと気持ちが落ち着きかけたとおもった矢先、次の爆弾投下。
まるで無防備な所に全力のボディブローでも食らったかのように前のめりに崩れ落ちる刹那。

「せっちゃん?せっちゃん!?」

慌てて駆け寄って木乃香が介抱しようとする。
しかし、鼻を押さえてよろよろと起き上がった刹那は、それを手で制して後ろを向く。
なんとかベッドまでたどり着いて、タオルケットを布団の下から引っ張り出した。

「おじょうさま……そのかっこうではさむいですから、とりあえず、これを」

何故だか少々たどたどしい口調になりながら、
広げたタオルケットを木乃香の肩からかぶせてぐるっと一回巻いた。
危ない部分は見えないように、覆ってしまおう大作戦。

「あ、せやね。ありがとう、せっちゃん」

ふんわり笑う木乃香の笑顔。その眩しさにぐらりとゆれた刹那の体。しかし今度は踏みとどまった。

あらためて、お互い正座で向かい合う。

「それで、お嬢様」
「なんや?なんでもいってくれてええよ」
「ぅぁ……い、いえ、ええと、そうではなくてあの」

ちらりと木乃香の頭を見る。ぴこりと動く犬の立ち耳。

「ええと、あーその、頭の耳は……?」
「ああ、これなー?そういうプレゼントならってカモ君が。一日だけ生える薬をくれたんよ」

黒幕一人発見。刹那の心のブラックリストに一人(匹)めが書き込まれた。

「じゃあ、その格好も……?」
「ううん、これはハルナがなー?多分一番喜ぶていうて」

二人目の黒幕を発見。リストにもう一人書き加えられた。
まったく、私を何だと思っているんだ。刹那は思う。
けれど、その格好に確かに揺さぶられまくっていたあたり、
あながちその見解は間違ってもいないと思われる。

「で、せっちゃん、何かやってほしいこととかある?」
「う」

再び始まる心の葛藤。
悪魔は折角のお嬢様のプレゼントを無駄にするなといい、天使は欲望に流されてはいかんと言う。
現在天使がが半馬身リード。

「い、いえそれよりも、お嬢様はどうしてそんなプレゼントを……?」
「あ、それはな?せっちゃんの誕生日、お祝いできるの久しぶりやし。
 なにをプレゼントしよかな、ってずっと考えてたんよ」

木乃香の説明によれば。
同じ図書館探検部の三人にそれを相談してみた所、一人目からは

「やっぱり、気持ちの篭った物がいいんじゃないかな……」

二人目からは

「何か特に欲しがっているものというのが思いつかないのであれば、
 やはり送りたいと言う気持ちが大事なのではないでしょうか」

三人目からは

「んー、刹那さんでしょー?そーねぇ。もういっそ、お互い忘れられない誕生日に!って感じで
 大胆に行ってみない?きっと物凄い喜んでくれるわよ」

いたずらっぽい微笑みでそう言われたという。
刹那の心のブラックリストから、一人抹殺リストに移動した瞬間だった。

「それでなー、みんな手伝ってくれたんえ」

にこにこと話す木乃香。その表情をみながら刹那は思う。
言われた意味、わかってやっているんですか?お嬢様、と。

思わずため息をつく刹那。その姿を見て、不安になったのだろうか。

「せっちゃん……もしかして、嫌やった?」

犬耳がたれ、木乃香は心配げな表情で顔を覗き込む。

「い、いえそんなことは!全然!むしろ嬉しいです!!」

慌てて手を振ってそう答え、後から微妙に墓穴を掘ったことに気がついた。

「よかったー、本当はちょっと心配だったんよ。普通の物の方が良かったかなーって
 こんな格好で突然押しかけて、困るんやないかなって」

いや、困りました。困るだけは物凄い困りました。刹那の心のツッコミは、しかし木乃香に届かない。

「じゃあ、今日一日一緒におるから、何かお願いがあったらすぐいってや」

そう、上機嫌に答えて微笑んだ。
現在刹那の心の天使は悪魔に二馬身ほど差をつけているあたり。
もったいない、と言う悪魔の言葉を黙殺して、静かに息を整えて言った。

「いえ、私はお嬢様が今日一日一緒に居てくださるだけで十分です。それが何よりの幸せです」

その笑顔に、犬耳がたれて木乃香の頬も赤くなる。

「せっちゃん……」

室内がほんわりとした空気に包まれる。
しかしその時、木乃香の後ろ、机の上に置いてあった時計の針が遠目に見えた。

「……あ!」
「ど、どうしたん?せっちゃん」
「そろそろ出ないと時間が」

そう。双方忘れかかっていたのだけれど、今日は紛れも無い平日で。

「あ!せ、せやった、いそがな!」
「お嬢様、下着と制服は!?」
「確かこの辺に……あった!」

慌てて着替え、登校の準備をする二人。
かくして、刹那のとある誕生日の一日は、随分とあわただしい始まりとなったのである。